福岡地方裁判所 昭和51年(ワ)1153号 判決
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【判旨】
一原告が甲地を、被告がその南側に隣接する乙地をそれぞれ所有し、その境界について原、被告間に争いがあること、被告が本件係争地を乙地の一部と主張して、これをゴルフ場等として管理、占有していることは当事者間に争いがない。
二そこで、まず甲、乙両地の境界を確定することとする。
1 <証拠による>と、甲、乙両地及びその付近一帯は、かつて山林であつて原告主張線はおおむね右山林内の谷の位置を示す線であり、一方被告主張線は右山林内の尾根の位置を示す線であることが認められる。そして、甲、乙両地のように相当の面積を有する山林の間においては、尾根又は谷が境界となることが多くかつ自然であること、本件全証拠によるも右以外に境界が存することを疑わしめる事情は見当たらないことからすると、甲、乙両土地の境界は、原告主張線(谷)又は被告主張線(尾根)のいずれかであると認めるのが相当である。
2 次に後記3(一)認定の国土調査実施前の字図に記された甲、乙両地の境界線と原告主張線及び被告主張線が類似するか否かについて検討する。
(一) <証拠>によると、右の字図に記された甲、乙両地の境界は別紙図面(二)の赤線表示部分のとおりであることが認められる。
(二) また、<証拠>によると、甲、乙両地はいずれも西方において福岡市と境を接するところ、その境界は、別紙図面(一)上の24、23、22、21、19、18、17、16、15、14、13、12、11、10の各点を順次直線で結ぶ線であるほか、右24点からはほぼ北に延び、右10点からはほぼ南面に延びたあと更にほぼ南へと延びる線であることが認められる。
(三) 原告主張線と字図に記された甲、乙両地の境界線を比較すると次のとおりである。
(1) 原告主張線が、東側の基点からまず西南に延び、その後おおむね西北西に延びているという点においては、東側の基点からまずおおむね西南に延びその後ほぼ西北西に延びる字図上の境界線と類似していること
(2) 原告主張線においては右の西南に延びた部分は全体の約4.2パーセント(全長325.03メートル中の13.75メートル)にすぎないのに対し、字図上の境界線の西南に延びた部分は境界全体の約26.5パーセントを占め、西南に延びる線の境界全体の占める地位が全く異なること
(3) 被告主張線は、(1)のとおりおおむね西北西に進んだ後は再び西南に延びているのに対し、字図上の境界線はその後西南に延びる部分はないとの相違があること
(4) 原告主張線の東側における基点はため池の西南端付近であるのに対し、字図上の境界線の基点はため池の東南端であるとの相違があること
(5) 原告主張線は、(二)認定の福岡市との境界と別紙図面(一)上の10点で合するが、右10点は、福岡市との境界が東北方向から南西へ延びる部分の中間にあたり、それが延びる方向を転ずる地点ではないのに対し、字図上では、甲、乙両地の境界線が福岡市との境界と合する地点は、おおむね北北西方向から南南東に向けて延びて来た福岡市との境界がおおむね南南西へと方向を転ずる地点であるとの相違があること
(四) 被告主張線と右(一)認定の字図に記された甲、乙両地の境界線を比較すると次のようになる。
(1) 被告主張線は、東側基点からおおむね西北に延びているのに対し、字図上の境界線は右(三)(1)のとおりであつて、その東側基点から延びる方向は異なつている。
(2) 被告主張線の東側の基点は、ため池の西南端付近の原告主張線の東側基点と同一点であつて、右(三)(3)のとおり字図上の境界線のそれとは相違している。
(3) 被告主張線は(二)認定の福岡市との境界と別紙図面(一)上の24点で合するが、右24点は北からおおむね南へと延びてきた福岡市との境界がおおむね南西へと延びる方向を転ずる地点であるのに対し、字図においては、甲、乙両地の境界線が福岡市との境界と合する地点はおおむね北北西から南南東へと延びてきた福岡市との境界がおおむね南南西へと方向を転ずる地点であるから、この関係では被告主張線が字図上の境界線と類似しているといいうる。
(五) 以上のように、原告主張線も被告主張線もいずれも字図に記された甲、乙両地の境界線と類似している点と相違している点をそれぞれ有しているから、字図上の記載との対比によつて、原告主張線か被告主張線のいずれが甲、乙両地の境界であるかを確定することはできない。
3 原告は、登記簿上の甲、乙両地の面積と甲、乙両地の境界を被告主張線又は原告主張線と仮定した場合の実測面積を対比し、被告主張線と仮定した場合甲地の面積は登記簿上の面積より減少するのに対し、乙地の面積は著しく増加して不合理であるとして、原告主張線が甲、乙両地の境界である旨主張するのでこの点について判断する。
(一) <証拠>によると、昭和四六年ころ、那珂川町により国土調査(地籍調査)が行われたこと、その際、甲、乙両地の属する「後野部落」の実施委員(その中には、当時の乙地の共有者の一人であつた井上寅之助も含まれる)の立会に基づいて被告主張線が甲、乙両地の境界であるとして測量がなされた(なお、右国土調査の結果に基づく地図及び簿冊について原告から那珂川町に対し甲地の面積に誤差がある旨の申出がなされたが、これについて那珂川町は何らの判定をしていない。)こと
(二) <証拠>によると、右国土調査実施前においては、当時の五八五番一の土地の面積は登記簿上四二〇〇〇平方メートルであつたところ、この土地は、昭和四七年五月九日乙地、五八五番三、五八五番四、五八五番五に分筆されるとともに国土調査による成果に基づきその登記簿上の面積が更正されたが、右面積は四筆合計で七万一一五二平方メートル(乙地=六六九〇四平方メートル、五八五番三=一四六四平方メートル、五八五番四=一四一二平方メートル、五八五番五=一三七二平方メートル)であり、国土調査前に比べ二万九一五二平方メートル増加し、その増加率は69.4パーセントに達することが認められる。
(三) <証拠>によると、甲地の面積は、登記簿上は三万九一三六平方メートルであるのに対し、右国土調査の結果によると(ただし五八二番一との境界が確定したものとして)二万九一四九平方メートルであり、九九八七平方メートル減少しており、その減少率は25.5パーセントになることが認められる。
(四) <証拠>によると、甲地と五八二番一の土地との境界が国土調査の結果未定であるとしても、甲地、五八二番一の土地及び五八三番の土地(これと五八二番一の土地との境界も未定である。)の三筆の合計面積は、国土登記簿上は六万八五九五平方メートルであるのに対し、国土調査の成果によると六万二四三四平方メートルと、六一六一平方メートル、8.9パーセント減少していることが認められる。
(五) なお、甲、乙両土地の境界を原告主張線と(すなわち本件係争地が甲地に含まれると)仮定すると、もとの五八五番一の土地の面積は約一万六九一平方メートル(34.9パーセント)増加し、甲地は約四四七三平方メートル(11.4パーセント)増加することになる。
(六) しかし、一方、<証拠>によると乙地の南に隣接する五八六番七、五八六番一二(五八六番一六が地積更正時に分筆されているのでこれを合した面積で対比した。)の土地、五八六番七の南に隣接する五八六番六及び更にその南に隣接する五八六番五の右国土調査前の登記簿の面積と国土調査の結果の面積を対比すると、それぞれ、七七二四平方メートル(65.4パーセント)、四三四九平方メートル(41.7パーセント)、七五二二平方メートル(63.6パーセント)、一万一八九四平方メートル(100.7パーセント)増えていることが認められる。
また、<証拠>によると、甲、乙両土地と同一時期に国土調査の対象となつた甲、乙両土地周辺の土地中には、国土調査の結果、それ以前の登記簿面積に比べ、面積が増えた土地、減じた土地それぞれが存し、その増加率、減少率も区々である(国土調査前の登記簿上の面積が甲、乙両土地のそれに比較的近い土地を例に挙げると、五九四番一の土地は国土調査前の三万四九六四平方メートルが三万七九六四平方メートルへ三〇四八平方メートル、8.7パーセントの増加、福岡県筑紫郡那珂川町大字後野字柳河内九二〇番三〇の土地は三万一七〇八平方メートルが三万一七〇三平方メートルへ五平方メートル、0.01パーセントの減少、同所在九一六番九の土地は四万四八一八平方メートルが一万八三三〇平方メートルへ二万六四八八平方メートル、169.2パーセントの減少、などとなる。)こと、右字柳河内九一六番九の土地の北側に隣接する字柳河内九一六番一一の土地(国土調査の成果による地積更正と同一日に字柳河内九二〇番三四の土地が合筆されている。)及び東側に隣接する字柳河内九一五番一の土地(同様に字柳河内九一六番一、字柳河内九一六番七、字柳河内九一八番八の三筆の土地が合筆されている。)は、それぞれ国土調査前の登記簿上の面積(各筆それの合計)が国土調査の結果八八七三平方メートル、21.7パーセントと一万九九〇三平方メートル、40.6パーセント減少していることが認められる。(なお、甲第一八号証のイ、ロ、リ、ヌ、ヨ、タの行の部分は、国土調査の成果に基づく地積更正と同一日になされた分筆又は合筆を考慮することなく、地番が同一の土地の面積を国土調査前後で比較しており、採用できない。)
(七) 右(二)から(四)まで認定のとおり、被告主張線を甲、乙両土地の境界とすると、甲地の面積は登記簿上のそれに比べ相当減少するのに対し、乙地の面積は登記簿上のそれに比べ著しく増加するというのであるから、一見すると、不自然不合理であり、その原因は、被告主張線を甲、乙両地の境界として測量したことにあるかのように思える。
しかし、(六)認定の事実によると(二)認定程度の乙地の面積の増加は付近の土地で特異なものでもなく、また、面積の減少の原因も、隣接地の面積がいずれも減少している土地もあるのであるから必ずしも境界の誤りにあるとも言えない。
したがつて、国土調査の結果に基づく面積とそれ以前の登記簿上の面積との対比によつて甲、乙両地の境界を定めることもできない。
4 次に、本件係争地の占有状況等について検討する。
<証拠>によると次の各事実を認めることができる。
(一) 乙地は、もと藤野壽太郎(以下単に「藤野」という。)が所有し、これに檜を植林していたが、右檜を伐採後の昭和二六年一二月二一日、井上虎雄(以下単に「井上」という。)、真子多聞ら後野部落の二八人に共有地として売却し、井上らの共有者は、尾根を甲地との境界と考え、昭和二七年ころ原告主張線に沿う谷の西側には杉を、山の斜面には檜を植林したこと
(二) 井上らは、乙地を購入した際藤野から境界を踏みわけて指示はされていないが、藤野は部落は異なるものの、同じ村の住人であり、井上は甲、乙両地が存する旧岩戸村の村長を勤めたこともあり、藤野とは同人が村長時代に村会議長を勤めるという間柄にあつたこともあつた上、乙地も井上ら共有者の居住する部落(大字後野)内にあることもあつて、井上らは乙地のことをよく知つていたこと
(三) 被告主張線の南側には、藤野が伐採したという檜の切株が存在し、これによると藤野も被告主張線に合致する尾根をもつて甲、乙両地の境界と考えていたことが推認できること、
(四) (一)認定の真子多聞は、昭和二八年九月一六日乙地の共有関係から脱退したが、それ以前の昭和二七年八月二六日には同人の子真子利幸名義で甲地を取得しており、右(一)と併せ考えると甲地の所有者として真子多聞ないし真子利幸も甲、乙両地の境界を被告主張線上の尾根と考えていたのではないかと考えられるほか、本件に至るまでの間、甲、乙両地の所有者間でその境界について紛争が生じた形跡も見あたらないこと
なお、証人牛嶋國光の証言中には、昭和四六年五月二四日後野の公民館において、井上、宮本真之助ほか一二、三人の地元の人達と話し合つた際、地元の人達から、本件係争地上の立木を切り出して後土地は原告に返してもよいとの話が出ていた旨の、乙地の共有者らも本件係争地が原告所有地であることを認めていたかの如き部分もあるが、これは、証人重松昭陽の証言中の、区(乙地の共有者ら)は、昔から使つているから区主張の境界が間違いない旨主張していた旨の部分及び証人牛嶋國光の証言にあるような話がもし出ていたとすれば本件のような紛争に至らずその当時話合いで解決されたことが考えられるにもかかわらず、本件に至つていることに照らし採用できない。また、証人坂本盛雄の証言中には、右証人牛嶋國光の証言中にある話合いの席上部落の人たちの多くは困つた困つたと言うのみで、中には今土地をとられると立木まで持つて行かれると言つた人もいた旨の部分があり、右証人牛嶋の供述と合致するようでもあるが、この証言中右のような発言が乙地の共有者からあつたとしても、原告の主張に接しての困惑の表われであつて、本件係争地が原告所有地であることすなわち被告主張線が甲、乙両地の境界ではないことを認める趣旨ではないと考えられ、右(一)の認定を左右する証拠とは言えない。他に右(一)から(四)までの認定を左右するに足りる証拠はない。
以上のとおり、乙地の旧所有者らは、甲、乙両地の境界を被告主張線上の尾根と考え、長期間にわたりこれを占有しており、その間境界について特段の紛争も生じていなかつたというのであるから、被告主張線が甲、乙両地の境界であると認める有力な事情と考えられる。
5 <証拠>によると、原告が甲、乙両地の境界を原告主張線であると信じるに至つたのは、原告が昭和四一年二月二八日に甲地を競落して後、甲地の現況を見るため、原告、牛嶋國光(原告の従業員)、山に詳しいという三島冨雄(原告の弟)及び大櫛規雄(原告の長男の妻の父)の四人で現地へ赴き、牛嶋、三島冨雄、大櫛の三人がまず福岡市との境界に当たる尾根へ出、尾根上から字図をもとにして三島冨雄及び大櫛が協議して原告主張線に沿う谷を字図に記された境界と一致すると判断し、この谷に沿つて山を降りてこの谷を境界であると原告に報告した結果であること、右の際には、隣地所有者や付近住民の立会をもとめたこともなかつたし、意見を聴くこともなかつたこと、右三島冨雄及び大櫛は本件係争地付近の山に詳しいと認めるだけの事情もないことが認められる。
そして、他に原告主張線が甲、乙両地の境界であるとの原告主張に合致する事情は認められない。
6 右5によると原告主張線は、もともとそれが字図に記された甲、乙両地の境界線と合致するとの三島冨雄及び大櫛の判断にのみ依拠するものであるが、右2のとおり、字図に記された甲、乙両地の境界線が原告主張線に必ずしも類似しているとは言えないのであるから、原告主張線が元来依拠する根拠は失当であると言わざるを得ない。また、甲、乙両地の境界を被告主張線の仮定した場合の甲、乙両地の面積の増減も右3のとおり甲、乙両地の境界を定めるについて根拠とはなり得ないのであるから、結局、甲、乙両地の境界が原告主張線の谷であるとする根拠は存しないことになる。
これに対し、右4のとおり被告主張線はそれが甲、乙両地の境界であるとする根拠を有している。
そして、右1のとおり原告主張線又は被告主張線のいずれかを甲、乙両地の境界と認めるのが相当というのであるから結局被告主張線を甲、乙両地の境界と定めるのが相当である(国土調査の手続上は、甲、乙両地の境界を未定とすべきであつたか否かなどということは右認定に影響を及ぼすものではない。) (水上敏)
物件目録
(一) 福岡県筑紫郡那珂川町大字後野字
早口所在
五八二番一
山林
三万九一三八平方メートル
(二) 同所所在
五八五番一
山林
六万六九〇四平方メートル